第二部:第4話

成長を止めてまで
やるべきこと

工場が静まり返った日

今では薄型テレビしか知らない人もいるでしょうが、かつてはブラウン管テレビが標準でした。角ばっておらず、独特の丸みを帯びた形状のおかげで、金属加工はとんでもなく難易度がアップしていたのです。そんな高難度のものですから、奥地建産に声がかからないわけがなく、当然その製造も任されていました。もちろん、住宅建材分野は堅調で、相変わらずプロダクトアウト型のモノづくりを進めていたのです。平野工場の誕生から、松原工場、そして滋賀にも3つの工場を持つほどのメーカーになっていた1990年頃、あえてその成長を止めて始めたことがありました。それが社内の教育のやり直しです。当時、業績が好調だったのにもかかわらず、人財にパワーをかけていなかったことが一番の原因でした。自らで考える力、工夫する力に欠けていて、問題を問題だと認識できない。これでは業績が伸び続けたとしても、急激に失速することは間違いありません。だから、人財教育を一からやり直すことにしたのです。滋賀工場は閉鎖し、生産・物流の動線を一新した三重工場を新設したのもその頃でした。そんなとき、1人、そしてまた1人と工場を離れていきました。変わることを恐れたのでしょうか、それとも変われないと感じたのでしょうか。けれど、この時の英断がなければ、今のような奥地建産はなかったと思っています。もしかすると、今、ここに存在していなかったのかもしれないと思っています。
次回に続く。

OKUJI HISTORY

2001年 3工場を統合し、三重工場を新設
2002年 業界に先駆けて「太陽光発電用架台」製造開始