第二部:第5話

残ったのは、たったの10数人だった

結局、意識改革についていけずに辞めていく人は絶えず、残ったのは10数名の人たちでした。当時は、製造も営業も管理部門も、休日を返上して毎週のように研修を行っていたのです。みんなが同じベクトルでモノづくりに関わり、会社とは、仕事とは、そんなことばかり繰り返していました。特に製造は、人が抜けた分、かなりの負担を強いられていたと思いますが、残ってくれた人たちから愚痴の一言も聞くことはありませんでした(すみません。ちょっとだけ嘘ついてます)。愚痴どころか、さらなる製造ラインの改善まで行われていたくらいです。工場を訪れるたびに、製品のレイアウトやラインなどが洗練されていくのです。洗練されていくと、工場内の清掃レベルも高まるから不思議です。特に三重工場が誕生してからは、住宅鋼材のカスタムオーダーに対応しはじめたため、量産以上にきめ細かな体制づくりが必要になります。それを残された人たちが自ら意識し、改善してくれたのです。いまだにその文化は根付いていて、新しい福島工場にも、そのDNAはしっかりと引き継がれています。
次回に続く。

OKUJI HISTORY

2004年 住宅用基礎鉄筋に革命を起こす鉄筋割付ソフト「waritsuke.com」を開発
2006年 より良い人財を求めて、大阪事務所を開設